〈考察〉小泉八雲 ー「見えないもの」を感じた日本人の心
- synchronicity64

- 12月3日
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1. 異国の文学者とその生い立ち
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン/Lafcadio Hearn, 1850–1904)は、ギリシャのレフカダ島に生まれ、アイルランド、アメリカを経て日本に渡った作家です。幼くして精神を病んだ母と生別し、父は旧愛人と再婚してインドへ赴任してしまいました。残された八雲は大叔母のもとで育ち、厳格なカトリック教育を受けながら孤独な少年時代を送ります。
さらに彼は、十代の初めに事故で左目を失明し、以後、生涯片目で生きることになりました。この出来事は、肉体的な不自由だけでなく、幼い心に深い影を落とし、「外界から疎外されている」という感覚をいっそう強めたと言われています。人に見られることを避け、光よりも陰を好むようになった性質は、この体験と無縁ではありません。
しかし、視力を失った左目の代わりに、八雲は“内なる視線”を研ぎ澄ませていきます。目に見えないもの、言葉にならない情感、物や自然の奥に潜む気配。後年、日本文化の中に深い共鳴を覚えた感受性の基層には、この若き日の喪失と静かな鍛錬があったと考えられます。
孤独・失明・流浪という背景は、八雲に“異邦人として世界を見る眼”を与え、のちに日本で出会う「見えないものを敬う心」への大きな共感となって開花していきました。
1890年、39歳で来日した八雲は、島根県松江に英語教師として赴任します。そこで出会った日本の文化、風土、人々の温かさに大きな感銘を受けました。日本の家庭の静けさ、神仏を敬う素朴な姿、季節の行事の中に宿る「見えないものを大切にする心」ー 八雲はそこに、故郷では得られなかった深い安らぎを感じ取ったのです。


2. 八雲が見た“心の日本”
八雲が最も心を動かされたのは、日本人が「形のないもの」を信じ、敬い、共に生きている文化でした。仏壇に手を合わせる姿、古い道具を大切に使う所作、山や木を神として祀る信仰。彼はこう書いています。
「日本人は、見えぬものに心を寄せ、形なきものの中に魂を感じる。」(『知られぬ日本の面影』より)
日本文化は「感じる文化」である。
八雲は、理屈ではなく“心”で世界を受け止める日本人の生き方に深く共鳴しました。この発見こそ、彼の思想の核でした。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は日本文化を五感で受け止め、日本人の立場になって考える人でした。

「八雲」という名に込めた思い
帰化後に名乗った「八雲」は、『古事記』の出雲の枕詞「八雲立つ」から取ったものです。松江=出雲の地で出会った“神と自然、人とものが共にある暮らし”への感謝が、この名に込められています。
小泉八雲の言葉
『神道の神髄は書物や儀式や戒律の中にあるものではない、むしろ国民の心の中に生きているものであり、未来永劫滅びることも古びることもない、最高の信仰の表れなのである』
『風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと根底に、民族の魂とも言える強力な精神がこんこんと脈打っているのである』
『日本人の美意識も芸術の才も、剛勇の熱さも、忠誠の厚さも
信仰の感情も、すべてがその魂の中に代々受け継がれ、はてには無意識の
本能の域にまで至っているのである』

3. 八雲の思想背景 ― 仏教・神道・儒教・崇物
私は、八雲の精神を、単なる感性や美意識のあらわれとしてではなく、深い思想と宗教的理解に支えられたものだと考えています。そこには、仏教・神道・儒教という三つの宗教、そして日本独自の「崇物(すうぶつ)」の心が、静かに響き合っているように思います。
仏教は、「すべての存在に仏性が宿る」という慈悲の教えを通して、ものにも魂を見いだす心を育てます。
神道は、山や木、岩や風といった自然の一つひとつに神を見出し、自然とともに生きる清らかな感性を養います。
儒教は、「敬(けい)」の心をもって人や物に接し、人と社会の調和を保つ道を示します。
崇物は、物を大切にし、崇(あが)め敬う心のことです。「崇物とは、人や自然、あらゆるものを天理のあらわれとして尊び、共に生きる日本人の心」です。つまり、物を単なる対象や道具として見るのではなく、そこに生命と理(ことわり・摂理)を感じ取り、謙虚に向き合う姿勢です。
この「崇物」の考え方が加わることで、仏教・神道・儒教の精神がそれぞれを補い合い、より深く、調和のとれた思想として結びついていくのだと思います。
私にとって、八雲の精神とは、
仏教の慈悲(すべてを包み込む心)
神道の清浄(自然とものへの感謝と畏れ)
儒教の敬(人や物に対する礼と節度)
崇物の心(人・自然・物を共に敬い生きる意識)
これらが一つに融け合い、「もの・人・自然とともに在る」生き方として形づくられたものだと感じています。
―崇物 ・神道 ・儒教・仏教―

4. 八雲が伝えた「心の哲学」
八雲の作品を貫く主題は、「心」であり、「敬」であり、「共生」です。『心(Kokoro)』では、「日本の美とは、自己を抑えて他を思う心の美である」と記しました。日本の心は、他者・自然・ものにまで広がる優しさと謙虚さの文化なのです。
5. 結びに
小泉八雲が日本に惹かれたのは、単なる文化や風景ではありません。彼が愛したのは、見えないものを敬う日本人の心でした。それは、仏教の慈悲、神道の清浄、儒教の敬、崇物の畏敬に支えられていたと私は考えています。そして、岡田武彦先生が説かれた『簡素の精神』 『崇物論-日本的思考』 と響き合い、静けさの中に豊かさを見出す生き方として今も息づいています。「ものを敬い、人を思いやり、自然に感謝して生きる」――これこそが、八雲が見つめた“心の国ニッポン”の姿なのです。
さらに、八雲の「怪談」には、彼の個人的な心の影も映し出されています。幼くして別れた母への思慕、そして彼を見捨てた父への許しがたい思い。その深い情念が、『水飴を買う女』や『子捨ての話』といった作品に昇華されています。






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