姫路藩士・長谷川雉郎については、当該ホームページでも紹介しています。仁寿山校の白鹿洞掲示碑は長谷川君父子瘞髪(えいはつ)之碑に生まれ変わっている事を記事に書きました。
さる3月5日ニュージャージー州のラトガース大学150周年記念会議「ラトガース大学、日本との出会い」と題するオンライン会議が開催されました。米国の週刊NY生活に「海を渡った若獅子たち」としてこの記事が掲載されました。オランダ修正協会を母体とする学校を前身として1866年に設立された州立大学です。慶応3年から明治30年までに日本人300人がこの大学で学びました。因みに姫路藩士・長谷川雉郎はニューヨーク州トロイで学びました。墓は日下部太郎を含め六人の留学生と共にニュージャージー州ニューブランズウィック、ウィローグローブの日本人留学生墓地に眠っています。幕末から明治にかけて海外に留学することは命がけの学びであったことが分かります。彼は残念ながら喀血で亡くなるのですが、彼のホームステイ先のトロイの中学校教師・ウィルソン氏は四つの行いを讃えています。一つは潔さ、二つは学問好き、三つは慎み、四つは真心であると言っています。
海を渡り、米国に学び近代日本を支えた命がけの日本人留学生の記事を、是非読んでいただきたいと思います。
※記事では長谷川鍛郎となっていますが、雉郎が正しい名です。因みに父の名は鍛冶馬です。