top of page

​『簡素の精神』

 『易経』の「賁」卦によれば、「文極まれば素に反る(飾りをつきつめていくと、もとの飾りのないものになる)」とあり、『簡素の精神』の著者・岡田武彦は「表現を抑制すれば簡素になる。それを抑制して簡素になればなるほど内的精神はますます豊かになり、充実し、深化する。これを簡素の精神という」と述べられています。

簡素の精神表紙

『簡素の精神』致知出版社 1998

敷島の大和の国を

  人とはば

 よろづの物を

    畏れ敬ふ

​       武彦

​岡田武彦先生の和歌『簡素の精神』より出典

簡素の精神 目次
 第一章 日本人と簡素の精神
  1 埴輪の心
  2 自然への回帰
  3 松のことは松に習え
  4 芸術の国日本
  5 日本の神話と歴史
  6 自他一体の心
  7 言挙げせぬ日本人
  8 清貧の生活
  9 洒落の境地
  
10 日本語の特質

 第二章 簡素の形態とその精神
     1 表現と内容
     2 ピカソとクレーの絵画
     3 水墨画の心
     4 絵画と余白空間
     5 白磁と簡素の精神
     6 簡素と平淡
     7 拙と巧
     8 内蔵と呈露
     9 自然の性情
    
10 以心伝心
     
11 易簡の学
    
12 簡素への回帰
    
13 日本文化の特質
    
14 外国文化の日本的受容
 

第三章 日本文化と簡素の精神
 1 随 筆
  イ 清少納言と枕草子
  ロ 鴨長明と方丈記
  ハ 吉田兼好と徒然草

 2 和歌
  イ 和歌俳句第二芸術論
  ロ 日本三大歌集
  ハ 万葉集
  ニ 古今集
  ホ 新古今集

 3 連 歌
  イ 連歌の成立
  口 心敬の連歌
  ハ 宗祇の連歌

 4 俳 諧
  イ 俳諧の特質
  ロ 俳句の文芸性
  ハ 俳句と表現の抑制
  ニ 俳文の特質
  ホ 松尾芭蕉の俳諧
  へ 芭蕉の俳文
  ト 横井也有の俳文
  チ 小林一茶の俳文と俳句
  リ 正岡子規の和歌と俳句
  ヌ 文人の草庵生活

 

 5 日本絵画
  イ 大陸芸術の日本的受容
  ロ 文人画の発展
  ハ 象徴性と精神性
  二 印象性と装飾性
  ホ 日本書道の特質
 
 6 日本彫刻
  イ 日本彫刻の絵画性
  口 円空・木食の戯れ彫
  ハ 神像の特質
 
 7 日本建築
  イ 日本住宅建築の特質
  口 中国建築様式の日本化
  ハ 伊勢神宮
  ニ 桂離宮
 
 8 日本庭園
  イ 作庭の様式
  ロ 日本庭園の歴史
  ハ 日本庭園の特質 
 
 9 日本料理
  イ 日本料理と中国欧米の料理
  ロ 自然の風味
  ハ 総合美

​ 10 日本のやきもの
  イ 縄文・弥生土器と埴輪
  ロ 日本陶磁器の歴史
  ハ 日本陶磁器の特質
  ニ 茶器の特質
  ホ 茶人の風流
  へ 不完全の美
 
 11 茶道
  イ 総合芸術としての茶道
  ロ 珠光の茶道
  ハ 紹鷗・利休の茶道
  二 利休没後の茶道
 
 12 能楽
  イ 二阿弥と禅竹
  ロ 能面
 
 13 日本音楽
  イ 大陸音楽の受容と日本音楽の発展
  ロ 新日本音楽の誕生
  ハ 日本音楽の特質
 
 14 日本武道
  イ 技と心
  ロ 剣の心術

第四章 日本の宗教と思想
  1 日本儒教
   イ 神儒一体論
   ロ 日本儒学の特質
 
  2 神道
   イ 仏教・儒教との習合
   ロ 神道の特色
   ハ 日本文化と神道
   ニ 神道の自覚
 
  3 日本仏教
  
第五章 簡素の精神とその意義

鳥居と朝日

​日本人と簡素の精神

​字幕入り学習動画

岡田武彦先生 米寿記念講話『日本人と簡素の精神』

東洋の心を学ぶ会 平成7年(1995年)11月29日(水)

西日本新聞会館 14階会議室 講話 約50分 

※冒頭の字幕 簡素の精神を「元」➡「基」に訂正

冬蔵の話の部分 PM ​6:43:24「繁殖」➡「繁茂」に訂正

岡田武彦先生の米寿記念講話 『易経』火沢睽の説明

米寿記念講話「簡素の精神」

『易経』の火沢睽の説明をされているお姿

平成7年(1995)11月29日  西日本新聞会館

岡田武彦先生の米寿記念講話「簡素の精神」平成7年

米寿記念講話「簡素の精神」 
平成7年(1995)11月29日  西日本新聞会館

■ 講話全体の要点整理(箇条書き)

1. 日本人の「簡素の精神」とその世界観

・日本人は「簡素の精神」に基づく素晴らしい独自の世界観を持っている。

・伊勢神宮の神明造りはその象徴であり、ブルーノ・タウトが高く評価している。

・ブルーノ・タウトの影響で、日本人も自らの「簡素の精神」の価値に気づくようになった。

 

2. 西洋からの視点と再認識

・ドイツの哲学者オイゲン・ヘルゲルは、弓道を通じて日本精神を理解した。

・弓道の神わざは禅の精神に支えられており、西洋的技術伝達とは異なる。

・陽明学を学ぶ中で、宋・元・明代の文化が「簡素の精神」に通じていることを発見。

3. 陽明学と簡素の精神

・朱子学は哲学的・理論的に構築されるが、陽明学は「良知」に集約されている。

・修行は簡単であるほど生命力に溢れ、これを「易簡の学」と呼ぶ。

・日本文化も陽明学と同様に「簡素の精神」に帰着する。

4. 理論と実践の文化的差異

・中国は理論重視、日本は実践重視である。

・日本人は理論に弱いが、直感力に優れ体験的理解に長けている。

・西洋の弊害(自然破壊・人間疎外)を東洋文化で補おうとする動きがある。

5. 日本人の表現と精神性

・日本人は理屈を言わない「言挙げせぬ国」の国民性。

・精神性を深く内包し、表現は控えめ。

・奥ゆかしさや沈黙に美徳がある。(例:東京裁判での広田弘毅の無弁明)

6. 簡素とは何か

・「簡素」は「簡単で質素」な表現技術であり、精神そのものではない。

・表現を削ぎ落とすことで、内面の精神は高揚し、緊張感と奥行きを持つ。

・「簡素の精神」とは、表現の技術を通じて精神性を深化させる姿勢。

《具体的事例による説明》

7. 「蔵」の精神(隠す美)

・伊勢神宮は森の奥深くにあり、自らを隠す「蔵」の象徴。

・日本の家屋は奥まって建てられ、庭や垣根で自らを見せない。

・西洋や中国は天に向かって建つ(自らを主張する)構造。

IMG_0829.JPG

豊受大神宮(外宮)にある風宮(かぜのみや)

風の神をお祭する別宮(べつぐう)で、元寇の時、神風を吹かせて日本をお守りになった神様です。

伊勢神宮は​森の中に建立されています。

3833068_s.jpg

​明治神宮隔雲亭

​周りは木々に囲まれ庭の奥にひっそりと家屋がある

25046489_s.jpg

​中国の広東省広州市にある六榕寺(りくようじ)の千仏塔(花塔)

​空に向かって際立って建立されている。

20241119_032627458_iOS.heic

神戸ムスリムモスク(神戸モスク)​神戸中央区中山手通2-25-14

​1935年(昭和10年)日本初のモスクとして神戸在住のトルコ人、タタール人、インド商人らの寄付によって建立された。

​空に向かって聳え立っている印象を受ける。

8. 芭蕉の句に見る「蔵」

・「荒海や佐渡によこたふ天の川」:囚人の苦しみを直接書かずに奥に隠す。

・許六の句「ご命講や 頭の青き新比丘尼」は露骨で風韻がないと批判。

・表現を露骨にせず、奥に「蔵」することで深みを得る。

9. 陶磁器の変遷に見る簡素化

・唐代の「唐三彩」は華やか、宋代は白磁・青磁など簡素化。

・白磁は三彩の集約=飾りの極致を越えた「飾りなき美」。

・水墨画も五彩を含む墨の奥深さ。「蔵の青磁」という精神。

 

10. 「冬蔵」―精神の内蔵

・朱子の師・劉屏山が朱子に「元晦(げんかい)」という字を付けた由来に「冬蔵」の精神が

あります。劉屏山先生の字詞(祝詞)に「木根に晦うして春容曄き敷き、人身に晦うして神明内に腴ゆ」がある

・冬に根を下ろし、春に花を咲かせる自然の姿に例える。

・静坐とは「冬蔵」そのもの。内面に神明を養うため。

《価値観と美意識の違い》

11. 「未完成の完成」を尊ぶ

・庭園や茶碗に見られる「わざと壊して継ぐ」文化。

・完成=充満を嫌う。隙間や不完全さに美が宿る。

・吉田兼好・千利休なども、未発の美を重んじた。

 

12. 相反の価値観(日本と西洋)

・清少納言の夕日、兼好の残花=不完全の美。

・西洋の充実と完成に対し、日本は余白と未完成を好む。

・文化的対比は「睽」の卦のように相反しつつ調和。

13. 飾りの極致と「白賁」

・『易経』の「賁」の卦における「白賁(はくひ)」=飾りのない飾り。

・飾りの極限に達すると「素」に回帰する。

・ピカソの晩年の絵は、子供の絵と見た目は似ても精神性が違う。

 

《総括:簡素の精神とは》

14. 「始め」と「終わり」を貫く簡素

・単なる初歩的な簡素ではなく、文化・文明を経た「回帰としての簡素」。

・表現を削ぎ落としつつ、生命力と精神性を宿す文化。

・これは日本文化の「高次元の簡素」であり、世界に対する大きな貢献となり得る。

 

15. 結び

・日本文化は「簡素の精神」に貫かれており、それは思想・芸術・生活全体に及ぶ。

・日本人は素晴らしい「簡素の精神」を今こそ意識すべきである。

・西洋と日本はあべこべでありながら、水平的に共存すべき関係。

・今後の文明のためにも、この「簡素の精神」の価値を見直すべき時である。

※『易経』の序卦伝、22番目の卦、山火賁について

山火賁(さんかひ)  賁(ひ) 艮上離下  自然調和で物を飾る 【飾る道】

賁は飾る、美しく飾る意になります。陰を上卦に艮(山)、下卦に離(火・太陽)があり、山が火(夕日)に照らされて美しく飾られている象です。陰陽がバランスよく交わり調和した状態を「飾」と言います。装飾が度を越して華美になると、バランスが崩れ実質が滅ぶ(虚飾)ことになります。

彖辞(卦辞)「賁(ひ)は亨(とお)る。小(すこ)しく往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よろ)し。」 

賁は飾ることである。物事は適度に飾られることによって、スムーズに事が運ぶのである。

山火賁画像2.png

​夕日が山を照らす

上九 無位の君子。白く賁る(白賁)。咎无し。質実簡素に戻る。

六五 天子。丘園に賁る。束帛戔戔たり。華美に飾る世を救う為に農業を薦める。吝なれど終吉。

六四 大臣。賁如たり皤如たり。白馬翰如たり。初九の賢人と共同で文飾過ぎる世を正す。

九三 大夫。賁如たり濡如たり。上下の陰爻に挟まれ美しく瑞々しく飾られている。永貞は吉。

六二 士。其の須(ひげ)を賁る。顎髭の様に九三と行動する。

初九 低位の賢人。其の趾を賁る。車に乗らず、分相応の対応をする。

※賁如(ひじょ):盛んに飾る、 濡如(じゅじょ):美しく瑞々しい、 皤如(はじょ):色が白い

翰如(かんじょ):白い色の形容、 束帛戔戔(そくはくせんせん):人に贈る絹が少ない

※『易経』の序卦伝、38番目の卦、火沢睽について

火沢睽(かたくけい)  睽(けい) 離上兌下 矛盾の対応 【背反応和の道】

睽は背反・反目の意で和合していないのである。上卦は離・火、下卦は兌・沢でそれぞれの性質は相反し、和合しない。人に例えると、上卦は離・中女、下卦は兌・少女で考え方が異なっており、背反するのである。これを解決するには時間をかけて内部を調うように努力し応和していくことが大切である。

彖辞 睽は小事には吉なり。

睽は背反することである。和合していないので大事はできないが小事は吉である。

​火・日
​離

火画像5.jpg

​沢
​兌

上九 意思疎通を欠いた者。陰陽和合せよ。

六五 徳ある天子、九二に会い相談に行く。何の咎はない。

九四 孤立した大臣、初九に会いお互い真心が通ずる。危いけれど咎无し。

六三 初め上九を疑い、後和合する者。輿を後ろから引き戻され、前からも止められる。

九二 徳ある君子で賢人。主に巷に遇う。咎无し。正応だがお互い正位でない。

初九 正しき道を守る志ある者。悔い亡ぶ。馬を喪うも逐うこと勿れ、自ら復る。悪人を見れば咎无し。

ブルーノ・タウト(Bruno Taut, 1880年〜1938年)は、ドイツ出身の建築家・都市計画家・美術思想家で、モダニズム建築の先駆者の一人として知られています。
◆主な特徴と業績
・ガラス建築の提唱
1914年の「ガラス・パビリオン」は、透明性と光を活かした未来的な構造で、表現主義建築の象徴的作品となりました。
・集合住宅の革新
ワイマール時代のベルリンで、カラフルで機能的な集合住宅(ジードルング)を数多く設計し、社会住宅の模範を示しました。
・日本との関係
ナチスの迫害を逃れ、1933年に日本に招かれ、1936年まで滞在。桂離宮や伊勢神宮などの伝統建築を高く評価し、西洋に紹介しました。著書『ニッポン——日本建築への讃歌』は、欧米で日本建築再評価のきっかけとなりました。
・トルコでの晩年
 その後トルコに渡り、1938年にイスタンブールで亡くなりました。
・日本滞在中、群馬県の伊香保の旧温泉旅館「太陽館」に住み、デザインにも関与。
・日本文化を深く尊重し、「桂離宮こそモダニズムの極致」とまで称えた。

オイゲン・ヘルゲル(Eugen Herrigel, 1884年–1955年)
国籍:ドイツ
職業:哲学者・大学教授
専門分野:西洋哲学(特にカント哲学)、後に日本の禅に関心を持つ
主な業績
著書『弓と禅』(Zen in der Kunst des Bogenschießens, 1948)
ヘルゲルが日本滞在中(1924年~1929年)に学んだ弓道(師:阿波研造)と、そこから得た「禅の体験」を記録した名著。
弓道を通して、無我・直感・自己超越といった禅の本質に迫ろうとした。
この本は戦後ヨーロッパやアメリカで禅ブームのきっかけの一つとなった。
評価と議論
ヘルゲルの著書は、西洋における「禅」理解の入口として大きな影響を与えた。
ただし、日本側からは「禅や弓道の本質を誤解している」との批判もあり、現代では批判的再評価が進んでいる。

広田弘毅(ひろた こうき)は、東京裁判(極東国際軍事裁判)において 文官として唯一、死刑判決を受けて処刑された人物です。以下に簡潔にまとめます。
広田弘毅(1878年〜1948年)、出身:福岡県、職業:外交官・政治家
役職歴:外務大臣 第32代内閣総理大臣(1936〜1937年)
東京裁判での位置づけ:
裁判では、主に「平和に対する罪(侵略戦争の計画・遂行)」などで起訴されました。
特に彼が総理大臣や外相であった時期に、日本の侵略政策が進行したとされ、その責任を問われました。
自ら積極的に戦争を主導したという証拠は少なかったものの、軍部の暴走を止めなかった「不作為の責任」が問われました。
判決とその後:
1948年、死刑判決を受け、同年12月に絞首刑が執行されました。
裁判では一貫して冷静で一切弁明せず威厳ある態度をとったとされ、死刑判決には内外で異論もありました。
評価:
広田の死刑には、「軍人ではない文民であるにもかかわらず不当に重い」とする見方があります。
一方で、「政府首脳として戦争を止める責任を果たさなかった」という指摘も根強くあります。

​簡素の精神・俳句の事例

岡田武彦先生の『簡素の精神』における俳句の要約

1.俳句の本質

・俳句は五・七・五の十七音からなる世界最短の詩形で、日本独特の文芸形式。

・表現を極限まで簡潔にしながら、深い余情と暗示を内包する。

 

2.俳句の発展

・起源は古今集時代。江戸期に貞門派・談林派を経て、芭蕉が高い芸術性を確立。

・芭蕉は「わび・さび・幽玄」の美意識を俳諧に持ち込み、精神性を高めた。

・蕪村は抒情性を、子規は写実性を導入し、俳句を国民的詩へと発展させた。

 

3.技法上の特徴

・切れ字:意味を断ち、余情を生む(例:「や」「かな」)。

・季語:四季を象徴し、自然との一体感を表現。

・この二つにより、簡素ながら豊かな情感を伝える。

 

4.簡素の精神と俳句

・短い表現でありながら奥行きある風景や感情を伝えることができる。

・露骨な表現は避け、抑制と含蓄を重視する。

・俳句は「言簡にして意足る」詩であり、簡素の精神の極致を示す。​

私の​母から教えてもらった俳句の心

・自分の心に兆したもの

・ときめいたもの

・はっと思うこと

・心優しきとき

・慎ましくあるとき

・現実にあるとき

・現実にあったもの

・嬉しきこと​

・悲しみ

・匂い

・さらりと

・驚き

・思ったもの

・偲びごと

​・思い出

​父の入選俳句集より。
両親は俳句同人誌である「いそな」「ほととぎす」「黄鐘」「田鶴」「円虹」に投稿しておりました。写真は私のイメージです。

ものの芽の
​  力強さに励まされ

2353108_s.jpg

夏草の根強き力

​    また伸びて

33186092_s.jpg

田鶴二百号記念俳句大会にて入選

姫路商工会議所にて大句会

​昭和六十一年八月十七日

​雪解けの水滴映る硝子窓

​雨戸引く我が手とゞめしホトトギス

白壁に貼り付き眠る蜻蛉かな

鈴虫の羽まろやかに震わせて

時折は妻の日傘の影を借り

病臥して早二十日目や子規忌かな

指のトゲ確か昨日の栗のもの

出棺の刻に小春の崩れ帰し

病む妻に塩加減聞き菜漬かな

長男に嫁とる話去年今年

懐かしき川の水汲み墓参り

​受け取りし児の柔肌の汗ばみを

​コスモスの色まぜ合わす風時に

転勤の子と孫送る暮れの秋

​春眠を破る訃報の電話受く

​教えても児にはまだ無理草笛は

冬虹に別れを告げて

​      ​逝かれしと

32858022_s.jpg

俳人 円虹 発行兼編集人 山田弘子先生より

俳句の​弔電をいただく。平成九年十二月

​母の入選俳句集より。

人佇てば
​  鯉の寄りくる四温かな

鯉.bmp

好古園・俳句投句月間 優秀作品展入選句

    平成十二年一月

落葉踏み

  偲ぶ心の尽きざりし

32967712_s.jpg

 紅葉の美しい季節も終わり、もう十二月、早いものでございます。先日の句会に参りました時に、公園の美しい落葉を踏みながらふと亡夫が元気だった頃を思い出して毎年紅葉の頃、二人でよく公園に来て散歩し、句を作ったものでした。主人が「人間もこの小春のような余生を送りたいものだなあ」と言ったことがありました。今まで苦楽を共にして来た二人にとって、これからの余生は俳句に専念したいと話しました。

 二人の息子もそれぞれ結婚し、孫も出来、心もほっとした頃でした。せめて金婚式まで元気で過ごすことができれば有難いことだと話しておりました。人生先の事は本当にわからないものでございます。そのあくる年、主人が思いもよらぬ交通事故に遭い、入退院の繰り返しを三年間闘病生活に耐えながら、公園で話し合った事が実現出来ず、この世を惜しみながら還らぬ人となってしまいました。先生の選に入りました「落葉踏み偲ぶ心の尽きざりし」がふと頭に浮かんで参りました。帰りには供養にと思い、美しい紅葉を三枚拾って遺影に語り乍ら供えました。

​ 母が遺した俳句と思いを綴った文です。

冬晴やなにか干さねば落ちつかず

咲き初めしポピーに朝の風やさし

去りし日や姉に習ひし草の笛

杖をつく夫の介護や風薫

労りの心をこめて新茶淹れ

食卓に季節の色の花菜漬

栗飯の栗剥ぐ事の根疲れ

水温む厨へ窓の風を入れ

梅雨近き厨の整理怠らず

病窓に夫と眺めし時雨虹

​人入れて城の膨るる花日和

ひとときの楽しさ蛍待つことも

読みかえす友の便りの温かし

厨よりジャム煮る匂ひ夏めきぬ

むらさきの風とどまりて花菖蒲

古里の風に飛ばされ夏帽子

​文を書く心となりし今朝の秋

​崇物論-日本的思考

 岡田武彦先生は晩年『崇物論』を発表されました。先生は「人や物を崇敬せよ」と呼びかけられています。「敬虔の心こそが万物を一体とする」と。人と共に悲しみ、人と共に喜ぶ。そして自然と共に生きる。『共に生きる』ことです。

 崇物とは物や人、自然を含む全ての物を大切に崇敬する意味です。崇物とはすなわち、日本人の自然崇拝からきたもので、物を崇拝し崇敬する事です。この崇物こそ日本の宗教、哲学、思想、文化を貫く基本的な思考になります。

以下、岡田武彦先生の『崇物論―日本的思考』を要約致しました。

尚、一の特殊性と普遍性、ならびに二の国文法の特色は略しています。

​三、制物と崇物

 西洋人(日本人以外)は自己主張的で理知的で他と対立し他を制御する民族性を持っています。反対に日本人は自己抑制的であり、情緒的で、他と調和し他を尊崇する民族性を持っています。

崇物

​民族

​日本人

特徴

自己抑制的で他と調和し、

情緒的で他を尊崇する民族性

​制物

​西洋人(日本人以外)

自己主張的で理知的で他と

対立し他を制御する民族性

要因

日本の家屋は開放的で、人と自然が常に一体となるように造られており、日本の自然環境は人間生活を潤してくれています。日本は島国で、山の幸、海の幸に恵まれています。自然は春夏秋冬の四季の変化があり極めて風雅に富んでいます。他国から侵略されることはありませんでした。同一民族、同一言語で論理的に自分の意向を伝える必要はありませんでした。

西洋の家屋は自然に対して防御的で窓は小さく壁は厚くなり自然と隔離する構造となっています。西洋の自然環境は人間生活に厳しい環境を与えています。日本以外の国は侵略された歴史があり、自然環境も厳しく人間生活に厳しいものになっています。
多民族で多言語が多く、理論的に自分の意向を伝える必要がありました。

​結果

日本人は自然の恩恵に対して深い感謝の念を抱き、これを崇敬する様になりました。その結果自然崇拝、万物を崇敬する民族性ができました。

因って、日本人の思考は崇物的となりました。

西洋人は自然と人を一体と見ることがなく、反対に対立するものと見ていますので、自然を制御する為に法則原理を探究して人に利用しようとする風潮が生まれました。結果、西洋人は理性的、理智的となり科学文明が発達し思考は制物的になりました。

◆崇物の例として

①物に対する恩恵に対する深い感恩の念を表す行事として、筆供養、針供養、藤の花供養、日本人形供養、鯨塚供養があります。

②「頂きます」「ご馳走さま」などは自然崇拝、物崇敬の念の一端を示すものと考えられます。

③山岳信仰、奇岩老木には神霊が宿っているとして崇敬する習慣があります。

ご神木

ご神木崇拝

人形供養

人形供養

針供養

針供養

湖魚供養

湖魚供養

三、制物と崇物

四、物は霊的存在

日本人は古来、物は霊的で尊厳な存在であると考えました。したがって、人間に人格があるように、物にも物格があると言わなければなりません。人格が尊厳なものであるとするならば、物格もまた尊厳なものであると考えました。日本人はその尊厳さを神と称し、その霊性の純粋なもの偉大なものを特に尊崇し、畏れ多いものとして崇拝祭祀したのでした。

人は皆、老若男女の別なく絶大に霊的で尊厳な存在です。そのことを示す為に、人には人格があると言ってもよいのかもしれません。物と人とを区別して考えると人には人格があり、物には物格があります。そして、人格と物格の間には質的相違があります。

崇物とは日本人の自然崇拝からきたもので、物を崇拝し崇敬する事です。この崇物こそ日本の宗教・哲学・思想・文化を貫く基本的思考になっています。

形而下の物は感覚で捉えられるもので、形而上の物は感覚で捉えられないものを言います。形而下は物質的なもの、形而上は精神的なもので、物の本質は中国思想でいうと両方とも気になります。それ故、物は全て気霊で霊的存在になります。万物は生物・無生物の別なく心を持っているというべきなのです。霊性は種によって質を異にするのです。そして万物はそれぞれ主体性を持つ独自の存在でそれを尊厳なものといわなければなりません。

日本人の崇物的思考(感性的思考)の筆者の私見


「月見れば千々(ちぢ)にものこそ悲しけれ」というように月を見る。(小倉百人一首23番 大江千里)
日本人は千年杉をみると、生命力に溢れた霊気を感知する。
秋の虫の音を聴けば「あはれ」と感じる。
京都の竜安寺の石庭は何らかの心を示すものと思うであろう。
日本人は「一木一草にも心がある」という。
大空の行雲にも心があると感じる。


では、この心とは何を意味するのでしょうか。
東洋では、人間には心があり、それは気の霊妙な働きであるとしています。ですので、心とは気霊といってもよく、そうなれば、心は霊と言ってもよいのです。これによって私が物は皆霊的存在であるという意味が理解できると思います。

秋の月

​秋の月

若狭姫神社 社殿と千年杉

若狭姫神社 社殿と千年杉

竜安寺の石庭

竜安寺の石庭

大空の行雲

大空の行雲

五、崇物と感性的思考

崇物的思考

​制物的思考

​民族

​日本人

​西洋人(日本人以外)

特徴

情緒的・感性的・全一的。物の本質は直感的=神秘的

自己抑制自己謙譲的であるから自他一体的思考となり、心の全体、すなわち全一的思考によってその本質を感知するからである。(16)

神秘主義的に徹し、実修に徹している。
坐禅は厳しい系統的な実修がある。東洋は切至な実践的な修行を必要とする。
(17)

 

日本の思想文化は感性的直観を根本としている。崇物は主として日常生活において求められ、厳しい実修はない。「崇」は自我を放棄して他に従う心の修行であり、無心無我の心で他と一体になる立場をとるもの(18)

 

インドや中国の思想も神秘主義的であるが、日本のそれと比較すれば、やはり両者の間に差異があるのを認めざるを得ない。それは神秘主義といいながら理論的な解明を要するところがある。日本の場合は殆どそれはない。ここでいう崇物は、日本の宗教・哲学・倫理・文化を貫く思想で実践を要とするだけで理論は皆無に近いといってよい。(23)

理知的・局部的

理性的=合理主義的 

 

自己主張より生まれるから自他対立的となり、

他を説得し制御する傾向とならざるを得ない。

そのためには他の本質を究める必要がある。

その結果、自己の理性理智を絶対的なものと

し、他を対象として分析してその本質を究め、

これを我が方に利用する様にようにならざるを得ない。近世に至って自我の理性を絶対視するようになって合理主義が盛んになり、その結果科学文明の興起をもたらした。(19)

哲学も合理主義でカント、フィヒテ、ヘーゲルなど大家が輩出した。合理主義を批判したニーチェ、ベルグソンなど神秘主義者もいた。(20)

西洋の神秘主義はキリスト教的神秘主義とは些か異なるが、禅学における坐禅のような切至な実修がない。特色を記述するに止まっている。

(21)

技の基本は技巧錬磨の極地を述べたのは西洋的合理主義的見地に立った見方。(22)

インドや中国の思想も神秘主義的であるが、日本のそれと比較すれば、やはり両者の間に差異があるのを認めざるを得ない。それは神秘主義といいながら理論的な解明を要するところがある。日本の場合は殆どそれはない。

六、崇の意義

 崇拝の意に解すれば宗教性を帯びますが、崇敬とすると中国宋代の儒者、程朱やその学派のいう「居敬」に類似します。朱子によれば、敬には三義があります。

​敬の三義

(24)

①心中一物も容れず(伊和靖の説) 心の中に一点の物欲もないようにすること。

②整斎厳粛(程伊川の説)心身が現に従っている行を正し、心を正して厳しく反省すること。

 朱子は程伊川の説を重視した。朱子は高遠な理想主義者で物の理を厳粛な存在としたので、伊川の敬を主とするに到った。それは動静を貫くものとし、静坐を入門の処とした。

③常惺惺(謝上蔡の説) 心の明知を覚醒して曇らさないようにすること。

 居敬を最も詳細に論じたのは、明初の朱子学者の胡敬斎です。崇物と居敬は似て非なるところもあります。朱子学の居敬は、物の理を究める知的な学で窮理の学と並進することを求めましたが、知的な学を先とし、居敬のような実修を後にするところがありました。朱子学は物を物質的な要素の気と理に分け、理は気の法則原理として、この理を知的に究める事の必要性を切論しました。そして、居敬といっても、理に対する実修であるとしました。故に、知行につても、先知後行の学とみられたのです。ところが崇物の場合は、直接、物そのものを崇敬しますから、朱子学の居敬とは異なります。崇物は物そのもの、物の霊を崇拝・崇敬するものですから宗教的・情緒的です。 (25)

 崇物の「崇」は前に述べたように心の全一的な修行ですが、その真を求めようと思えば、そこにまた西洋の伝統的な思想文化から学ばなければならないところがあります。

崇物の実修が主観に陥ったり偏ったりしない為に東洋的な伝統を学習する必要があります。日本の神道、仏教老荘、儒教の学習が必要でありますが、特に儒教の学習は大切です。禅語の「放下」(ほうげ・一切を捨て去ること。仏語。禅宗)などは学ぶべきものです。私見によれば、「崇」の修行には「我欲、我見、我執」があって、この三我を放下棄捨しなければなりません。すなわち、三無我を要としなければなりません。

仏教、儒教、崇物の物に対する態度に積極性と消極性の差異があります。

・仏教では死生の超脱を主としますから物に対する態度は消極的になります。

・儒教は経世を目的としますから積極的になります。

・崇物における自己抑制的修行は退歩思量(自分の内に目を向けて物事の根本に立ち戻り、思いはかること)といってもいいか分からないですが、崇物での物に対する態度は儒教よりも端的で一層積極的です。 (26

 崇物の場合は儒教の理智的傾向を帯びたものとは違って、活発な情意的な発露があります。
崇物の修行に大いに役立つ教えは、
・孟子の「修行に絶えず進め励んで間断があってはならない。修行の効果を期待してはならない。修行することを忘れるのもいけないが、無理強いをしてはならない」(『孟子』公孫丑章句上篇)
・孔子の「己の欲せざるところを人に施すことなかれ」(『論語』衛霊公篇)
(自分がしてほしくない事は、人にしてはいけない。)
・孔子の「己れ達せんと欲して人を達せしむ」(『論語』雍也篇)
(自分が事をなし遂げようと思えば、まず人を助けて目的を遂げさせる。仁ある者は、事を行なうにあたり自他の区別をしないことをいう。) 
(27)

 儒教は、日本人の民族性と適合するところが多いです。日本民族は同一民族なので人倫を重んじますが、儒教も人倫を重んじます。「斯の人の徒と与にせずして誰と与にかせん」(『論語』微子篇)というように人倫を重んじています。両者ともに現実の人間生活の道を説きます。貝原益軒も「日本は神人合一を説き、中国は天人合一を説くが、その道は同じである」(写本『神儒並行相不悖論』)と述べています。神の道、天の道は共に現実的なもので、仏教などの超越的な道とは異なります。

・儒教は人倫を重んじ、現実の人間生活の道を説きます。日本人の民族性と適合するところが多いです。
・神道はこの世の明るい現実的な道を説きます。(明るい生の世界を説きます)
・仏教は超越的な道を説きます。(暗い死の世界を説きます)
崇の修行が真実のものとなるためには前に述べたような心がけが必要ですが、崇の修行本性から自然に発露するものでなければならないでしょう。つまり、本性自身が向上するために自ら発するものとならなければなりません。
(28)

​崇物

崇物は物そのもの、物の霊を崇拝・崇敬するものですから宗教的・情緒的です。

ご神木崇拝

​ご神木崇拝

針供養

​針供養

秋の月

​秋の月

湖魚供養

​湖魚供養

姫路甲山の大岩崇拝・古神道の磐座

​姫路甲山の大岩崇拝
(古神道の磐座)

人形供養

​人形供養

伊勢志摩の夫婦岩

​伊勢志摩の夫婦岩

​神道

神道はこの世の明るい現実的な道を説く(明るい生の世界を説く)

神社拝殿前

​神社拝殿前

石清水八幡宮・京都府八幡市

石清水八幡宮・京都府八幡市

霧島神社

​霧島神社

松下幸之助社・鈴鹿の椿大神社境内

松下幸之助社
​鈴鹿の椿大神社境内

家庭の神棚

​家庭の神棚

神社での神前結婚

​神社での神前結婚

姫路松原八幡神社

​姫路松原八幡神社

姫路・松原八幡神社秋季例大祭

姫路・松原八幡神社秋季例大祭
​「灘のけんか祭り」

​儒教

儒教は人倫を重んじ、現実の人間生活の道を説く。日本人の民族性と適合するところが多い

孔子像

​孔子像

山崎闇斎坐像

​崎門学の祖・山崎闇斎坐像

王陽明像

​王陽明像

朱熹像・朱子像

​朱熹像

朱子の白鹿洞書院掲示・姫路仁寿山校・学問の心構え

朱子の白鹿洞書院掲示
​姫路藩仁寿山校
​学問の心構え

​仏教

仏教は超越的な道を説く(暗い死の世界を説く)

東大寺の大仏像

​東大寺の大仏像

姫路市 名古山墓地・仏舎利塔

仏舎利塔​
姫路名古山霊園

親鸞聖人像・大阪四天王

親鸞聖人像
​大阪・四天王寺

奈良東大寺

​東大寺

仏壇の灯明

​仏壇の灯明
(灯明は仏さまの智慧を象徴し、迷い、煩悩、苦しみの原因、愚かさなどを消滅してくれると云われています)

家庭の仏壇

​家庭の仏壇

七、人間の本性

 崇物の物は万物を意味し、万物の中には人間も含まれます。人間と他の物とは、もちろん同気ですが、人間は他の物とは違って特別に霊妙な気の働きを持つ生物といってよいでしょう。人間は他の物とは異なる超絶的に優れた特性の持ち主です。

人類が類人猿と異なる点を挙げると従来は
①知恵のあるヒト(Homo sapiens)
②工作するヒトとなりますが(Homo faber)
最近では
③分かち合うヒトであることが分かりました。(Homo communicans)
今後は③に注意を払って哲学的研究をしなければなりません。
(29)

 儒教は、人倫道徳を根本とする修己治人を説いています。「分かち合うヒト」すなわち社会生活ができるのは、人間が本来、わがことばかりでなく常に他人のことを思いやる心があるからです。すなわち、人倫道徳性を持つからであり、これを人間の本性として述べたのが儒者です。
 儒教は人倫道徳を根本とする修己治人を説いています。その修己治人を明らかにしたのが『大学』で、正心、誠意、致知、格物、修身、斉家、治国、平天下の八条目の教えになります。
しかし、人間の特異性は人倫道徳的本性ばかりではありません。このことは、中国の古代思想とその歴史を見るならば容易に知ることができます。


 人間の特性を中国の古代思想とその歴史から見ると下記の様な分類となります。これらは、いずれも根深い人間性の表現であるといわなければなりません。
① 現実主義―功利的人間観に基づく。 
人間は先ず己れの利を求める功利的な存在です。そこで現実主義の観方をする思想家は、人間の功利主義が如何に根強く切実なものであるかを洞察し、それに対処する道を説きました。孫子などの兵法家、韓非子などの法家、縦横家(外交家)がそれになります。


② 超越主義―宗教的人間観に基づく。 
人間は本来宗教性を持っているという宗教的人間観に基づく超越主義思想も現れました。すなわち、人間は相対的な存在であって様々な矛盾・葛藤・苦悩から逃れ得ない運命を背負っており、人間以上の超越的なものへの随順によってのみ運命の束縛から離脱し安楽な絶対界に安住することができるとして、一切の人為を否定し天の無為自然に因循することを求めました。老子、荘子などの道家、中国化された仏教がそれになります。


③ 理想主義―道義的人間観に基づく。 
一方、現実の人間は確かに功利的で人と人との共同生活には様々な矛盾・葛藤などを伴うけれども、人間は本来道徳的であり、お互いに情義(人情と義理)によって結ばれていると道義的人間観に基づく理想主義思想が生まれました。孔子、孟子、朱子、王陽明などの儒家がそれになります。


④ 芸術主義―審美的人間観に基づく。  (30) 

中国の古代思想と歴史から見た人間の特性
七、人間の本性
八、相克と相性

八、相克と相性

 人間の本性は何かということを考える場合、植物や動物など地球上の生物は如何にしてわが生命、種の生命を保持しているかを考察することも肝要です。というのは、人間も生物にほかならないからです。

 相克についていえば、動物の世界は弱肉強食です。相生についていえば、蜂は花の蜜をあさりますが、そのお蔭で花粉が雌蕊に付着して木は実を結ぶことができます。また、虎やチーターのような強い動物は少ししか子を産みませんが、鰯や蛙のような小さく弱い動物は多くの子を産みます。このようなことは植物の間でも見得られます。要するに、生物は相克相生を通じて共存共生していることが分かります。 したがって、各生物は共存共生によってわが生命ないしは種を保持し、生存の目的を達しているということができます。  (31) 

 先程述べた動物の相克は循環型といってもよいですが、しかし別の観方をすれば対立型でもあります。それは剛と柔、陰と陽のようなものです。両者は矛盾存在ですから、それは闘争によって解消されると考えられます。しかし、矛盾存在であるが故に調和して新たなものを生むのです。このことは『易』の睽(けい)の卦の彖伝の語がよくこれを解明しています。睽は一口でいえば、矛盾を説いた卦です。その彖伝に、
 天地睽(そむ)いてその事同じきなり。男女睽いてその志通ずるなり。万物睽いてその事類するな  

 り。睽の時用、大いなるかな。

とあります。
よく考えてみますと、相克と相性も矛盾存在です。したがって、両者の関係は対立的でもありますが、同時に調和的でもあります。それは相克といっても内に相生を蔵し、相生といっても内に相克を蔵するからです。地球上の生物の生態をよく観察している自然科学者は恐らくそれに対する詳細な知識を有するでしょう。筆者のような素人でも、例えば男性の身体にも女性ホルモンがあり、女性の身体にも男性ホルモンがあることから、このことを推察することができます。
 要するに、地球上の生物はお互い相克と相生の関係にあっても、それによって共存共生しているのです。こういう点から考えるならば、相克と相生に於いても、相克より相生の面が重んじられるべきです。その相生は相克相生を超越した相生を忘れてはなりません。生命を保持している動物たちは各自本能のままに生きていますが、共存共生によってわが生命を保持しています。人間も動物であることを忘れてはいけません。このことは、人間の本性を考える場合、重要な契機となるものです。 
(32)

※以下⑴火沢睽と⑵陰陽五行説による相克相生の補足説明
⑴『易経』の睽の卦の説明
 上卦は離・火、下卦は兌・沢でそれぞれの性質は相反し、和合しません。人に例えると、上卦は離・中女、下卦は兌・少女で考え方が異なっており、背反するのです。これを解決するには時間をかけて内部を調うように努力し応和していくことが大切になります。

『易経』の火沢睽

​参考書籍:公田連太郎 述 『易経講和 三巻』(全五巻) 明徳出版社 1958年 火沢睽  

⑵陰陽五行説による相性相克の説明
 陰陽五行説は古代中国の自然哲学で、宇宙や自然界に存在する全ての現象やものは陰陽の調和から成り立ち、陰陽の消長、変化、循環によって生まれるとする陰陽説と、宇宙の全ての万物は木火土金水の五つの気(五行)によってできているという説で成り立っています。宇宙にはこの五つの気が絶えず循環しており、運行していることを行と言い、五行と言います。五行には相生・相克関係があり、森羅万象の生成・変化を説く考え方が陰陽五行説です。中国の春秋戦国時代の鄒衍(すうえん)によって唱えられました。我々が存在する宇宙・自然界は膨張(陽⚊)し、収縮(陰⚋)して循環します。

陰陽五行説

◆五行の法則
 五行の法則には、相生と相克関係があり、相生は自分から他のものを生み出し、反対に他のものを剋していく相克があります。

陰陽五行図の相克・相生図

相生
木生火:木は擦れて火を熾(おこ)す
火生土:火は燃えて灰(土気)となる    
土生金:土から金属が生じる  
金生水:金属の表面に水滴が生じる
水生木:水は木を育む

相克
木克土:木は根を締め付け、栄養を吸い取る
土克水:土は水を制御する
水克火:火は水に消火される
火克金:金属は火に溶かされる
金克木:木は金属の刃物に切り倒される

参考書籍:長田なお『陰陽五行でわかる日本のならわし』 淡交社 2018年

陰陽五行図の相克・相生図
九、万物一体的思考

九、万物一体的思考

 人間は本来、社会性を持つもので、それが人間の本性であることは、それに対する理解の浅深は別として、深い思考を凝らさなくとも誰しも容易に知ることができると思います。そして、そこにこそ人間として生きる真の道があるといわなければなりません。それは孔子の「斯の人の徒と与にせずして誰と与にかせん」(『論語』微子篇)や孟子の「楽しみは人と与にするに若かず」(『孟子』梁恵王句下篇)にその訓えが示されているように、己れ一人でなく「人と与に」というのが人間性の本来であることは容易に自覚することができます。ただ、私利私欲に駆られ「人に反して」とか「人に対して」という功利心が時として生ずるが故に、このような共存共生の心を失い、それを自覚するに至らないのです。また、このことは人間の家族生活を考えるならば、それが人倫の道であり、人間性の本性からの発露にほかならないことを知るでしょう。このような家族道徳を拡充したものが共存共生の社会道徳です。
 このような家族道徳、社会道徳、人倫道徳は共存共生の道徳にほかなりません。それが共存共生の自然界の道であることを知るならば、家族道徳、社会道徳も宗教性を帯びるに到るし、また自然界の共存共生の道も人倫的情感を帯びるようになるでしょう。これをもって人倫道徳の理想的世界としたのが中国の宋明時代の儒者でした。 

 万物一体論は、孔子の仁の思想を発展させた究極の道です。万物一体論を集大成したのは明の王陽明で、良知を持ってこの思想の根本としました。その良知は道徳的感知であり、道徳的法則ともいうべきもので、陽明は、人々がこの心を一にし、この徳を一にして、わが能力に応じた職分を全うすることが、万物をもって一体となす仁を達成する所以であると考えました。
陽明の良知の体は「真誠惻怛(しんせいそくだつ)」です。
※「真誠惻怛」とは人の真心と人に対する思いやりのことです。 
(33)

 陽明の万物一体論は社会生活が家族生活の延長であるとしました。社会生活にあっては各人が家族的な肉親の情を一にし、その家族的な道徳を一にして、わが職分を果たし、職業の貴賤については、家族生活において親子兄弟が分業に従事するのと同じように、その間、一切の羨望卑下をしないようになって初めて万物一体の心を遂げることができるとしました。そして、それを鋭敏に知覚するのが良知であるとし、良知を本とする万物一体を説きました。もちろん陽明の万物一体論は、それ以前の仁、礼、誠を以て万物一体を説いたものの集大成ともいうべきものですが、それは要するに「斯の人の徒と与にせずして誰と与にかせん」(『論語』微子篇)に表されている孔子の仁における究極の境地を述べたものです。
 宋明時代の儒者は万物一体の仁をもって聖人の道とし、各人がこの仁心をもってわが能力、わが職分を全うすることを求め、万物一体論を切論しました。彼らの万物一体論は、前述したように仁、礼、誠、良知という理念をもつものですが、要するに自他一体になることが根本です。
(34)

 万物一体的思想の妨げになるものは功利的思想になります。深く考察するならば、功利性は人倫道徳を高唱したり、超越的立場を強調したりするところにも潜在していることが理解されます。故に、万物一体的思考は切実な功利的思考の克服によらなければ、これを実現することはできないし、また秀れた理智や技巧を用いなければ、その実現性と理想性を全うすることはできないでしょう。そのためには、西洋と中国の人間観を精密に考察することが肝要です。
万物一体的思考と筆者の崇物的思考とを比較するならば、後者がより一層、簡易直截です。というのは、崇物的思考によれば宗教性を帯びて自他一体となり、また功利心を棄絶することが極めて容易となるからです。
物も固定的で不変の存在ではなく、変化に応じて物をして真の物として存在せしめることが重要で、「崇」もこれに応ずるものでなければなりません。そこで、物の観方、つまり観物についてよく考察することが肝要となります。
一、大観 長い時間と広い時間の中に物を位置づける観方をすること
二、小観 物の法則及び原理を精細に考察すること
三、深観 物性の本質を洞察すること
この三観がなければ、崇物も素朴なものとなる恐れがあります。
(35) 

 崇物は学の終始になります。崇物は科学的思考を受容しなければ、その理想的世界は実現不可能となります。科学的思考は枝葉で、崇物は根本になります。
日本の崇物は自然崇拝から来ていますので山川草木まで及びます。環境問題やエコロジーを考えると容易にその必要性が理解できます。
 日本の崇物的思考は、実に世界性を持ち得るものです。西洋の制物思考と一体になってこそ、真の世界的思考が生まれるのです。従来、日本的思考については、日本人は潜在的に持っていて、これを十分に自覚するまでには到りませんでしたが、今日においては、これを自覚的に発揚していかなければなりません。そして、これが人類の思想文化の発展に大いに寄与するものであることを忘れてはなりません。
筆者のいう崇物的思考は太古の神道と密接な関係があると思われます。ところがJ・W・T・メーソンの名著『神ながらの道』で日本人は余りにも自己抑制的であって、伝統的な素晴らしい神道についての自覚と多少の論理的表現が欠けていると論じています。中略(メーソンの神道論)~。故に筆者は、日本人が潜在的に持っている伝統的な思考の究極の理念と思われるものを敢えて掲げたのです。
(36)

神ながらの道 J・W・T・メーソン 著

『神ながらの道』
J・W・T・メーソンの写真 

神ながらの道 J・W・T・メーソン 著

『神ながらの道』J・W・T・メーソン 著
今岡信一良 訳 たま出版 1980.9.1

 日本人の自己抑制は真の自己の主体性を樹立し、それを発揚するものであるといってよいでしょう。一見すれば、自己主張的思考は自己の主体性を堅持し、自己抑制的思考は反対に自己の主体性を軟弱にするように思われます。実はそうではないのです。というのは、日本的な自己抑制は崇物に因るからです。自己抑制は、いわゆる「退歩思量」に通ずるところがあります。その究極に到れば、無我の境地に達します。筆者によれば。無我とは三私三我「私欲、私情、私見」と「我欲、我見、我執」を棄絶することにほかならないです。ここで留意しなけばならないことは執着です。すなわち、無我を求めても、敢えて無我になろうとすれば、却って我執に陥ます。故に、道家も無無を説き、仏家も空空を説いたのです。崇物を要とすれば自ら無我に到るが、それも無我の棄絶にまで到らなければなりません。そうなれば「崇」も「無崇」とならねばならないでしょう。のみならず、「無崇」もまた棄絶しなければならないでしょう。故に。「無崇の崇」に到って、その究極に達するといわねばなりません。中略~。(37)

 

 ここで特に考慮すべきことは、「崇」は盲目的に物を崇拝崇敬するのではなく、その真なるものは、その物が本来の生き方あり方を切願し、その物をして、その処を得させること、いわゆる「物をして物に付す」ようにすることがなければ、真の崇物ととはいえないでしょう。そのためには、前に述べたように、各物の本性を感知するようにしなければならない。これは無我による全一心によってのみ可能となります。(38)

 そうなれば、「崇物」における自己抑制は真我の働き、すなわち活溌々地の主体性を発揚することになります。故に、日本人の「崇物」における自己抑制は、自己の主体性を抑圧するものではなく、反対にこれを積極的に堅持することになります。故に、「崇物」の自己抑制の真意をよく理解し自得しなければ、自己抑制は卑屈になり、人としての尊厳を毀損する恐れなしとしないです。(39)

 

 日本人の自己抑制に対し、外国人の中には往々にして日本人は己が意向を論理的に表現せず、また表現を曖昧模糊として人を欺瞞する民族性をもっていると誤解するものがあります。しかし、彼らに日本人が潜在的に伝統として持っている「崇物」についての理解があれば、そのようなことはあり得ないでしょう。そのためにも、日本人自身が先ず「崇物」に対する自覚を持つよう努めなければなりません。要するに、崇物は人間の真我を発揮する道です。(40)

十、自己抑制と自己の主体性

 物とは宇宙の森羅万象であり、かつ一物についても、前述のように固定的なものではありませんが、すべてはいわゆる物質的・精神的素因ともいうべき一気の作用にほかならないです。しかも、気は同質のものではなく、気中に無限の異質のものを存しているといってよいでしょう。物はその気から生じた一主体的存在であり、その主体はそれぞれ質量ともに異なるものです。例えば無生物と生物、植物と動物、動物と人間、ともに一気の所産ではありますが、各自、質ないし量を異にします。また、同質の中にも優劣があり、量にも多寡(たか・多少)があります。


 ただし、一気の生ずるものでありますから、宇宙の森羅万象はすべて同体であるということができます。したがって、人間もまた宇宙内の諸物と同体で、かつその優秀な質を受容した存在であることができましょう。それ故に、人間は宇宙的存在です。人間のみならず他の諸物もすべて宇宙的存在でありますから、それは皆、尊厳な存在です。ただ人間は、その中でも特に優秀な質を賦与された存在であり、抜群の特性を持つに到りました。中略~。


 しかし、この心は身と一体のもの(心身一如)であることを忘れてはいけません。最初に筆者は、物の霊性は物と不可離であるとし、物がそのまま霊的存在であるといったが、人間についても身体そのものが霊的存在です。しかも、その身体は気の精妙の生ずるところですので、人間の身体は宇宙的存在であるのみならず、このことを自覚するところに人間の人間たる所以があります。中略~ 最近の物理学、医学、生理学の研究によれば、宇宙の根元は物質でなく精神と言うべきものであり、人間の心の精妙な働きが身体、特に脳の生理的作用に帰せられることが証明されつつあります。故に、身は宇宙の根元であり、兀坐して以てその根を培養することが初学の道になります。よって、心学説を次に掲げ、本論の結びとします。(41)

身學説

先儒多以聖學爲心學各揭其說以篤行
之矣其爲工夫也精微深奥真髓入微矣 
其發明聖學之功可謂至大也自陽明子 
出提唱良知之說心學乃大明于世矣曰 
良知二字千古聖々相傳一點滴骨血體 
大思精寰宇賡繼相承以是爲本體工夫 
則聖人之學致知盡焉聖人易簡之學於 
斯極矣余謂天地萬物會歸於心心歸於 
身身是心之本源宇宙生氣之充實處也 
故曰學也者身學也致身盡焉初學者宜 
兀坐以培其身命之根應宇宙在手萬化 
生身其功切至矣

 「先儒多く聖学を以て心学となし、各々その説を掲げ以て篤くこれを行う。その工夫たるや精微深奥にして神髄微に入る。その聖学を発明するの功、至大と謂ふべきなり。陽明子出でて良知の説を提唱せしより、心学すなわち大いに世に明かなり。曰く良知の二字は千古聖々相伝の一点の滴骨血となりと。体大、思精、寰宇賡継して相承く。是を以て本体工夫となせば、すなわち聖人の学はこれを尽くす。聖人の易簡の学、ここにおいて極まる。余、謂へらく、天地万物は心に会帰し、心は身に帰す。身はこれ心の本源にして、宇宙の生気の充実するところなり。故に曰く。学とは身学なり。致身これを尽くすと。初学者は宜しく兀坐して以てその身命の根を培ふべし。まさに宇宙手に在り、万化、身より生ずべし。その功、切に至る。」(42)

岡田武彦 述 森山文彦 編『崇物論-日本的思考-』 2003.8.24

引用・要約  (掲載に関しては岡田武彦先生のご子息に了承をいただいております)
⑴pp.17-18、⑵pp.17-18、 ⑶pp.18-19、⑷P18、⑸pp.17-18、⑹p.18、⑺pp.18-19、⑻p.20、⑼ p.23、⑽ p.24、⑾ pp.24-25、⑿ p.25、⒀p.25、⒁p.26、⒂pp.27-28

⒃p.21、⒄p.31、⒅p.31、⒆pp.28-29、⒇ p.30、(21)P.30、(22)P.31、(23)P.30

(24) pp.32-33、 (25) pp.33-34、 (26) pp.34-35、 (27) p.35、 (28) pp35-37、 (29) pp.37-38

(30) pp.38-40 、 (31) pp.41-42、 (32) pp.42-43、 (33) pp.43-45 、 (34) p.45、 (35) pp.45-47 (36) pp.47-50、(37)p.51、(38)p.52、(39)p.52、(40)pp.52-53、(41)pp.53-55

(42) pp.55-56

十一、身学説
bottom of page