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千姫天満宮
千姫は天満大自在天神を信仰していました

「千姫は慶長2年(1597)に徳川秀忠とお江の間に生まれた長女でした。慶長8年(1603)に豊臣秀頼と結婚し、大坂城に入りました。大坂夏の陣で落城時に救出され、豊臣家の娘・天秀尼を養女としました。元和2年(1616)に本多忠刻(ただとき)と再婚し、元和3年(1617)に本多家が姫路に入府し、播磨姫君と呼ばれました。 

千姫は天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)を信仰し比叡山延暦寺第十三座主法性坊尊意作の天神木像を守護神として城内に祀っていました。元和九年(1623)の三月に男山に天満宮を建立してこの守護神を遷し朝夕西の丸長局の廊下から遥拝(ようはい)していました。姫路で過ごした10年間は人生で一番幸せな時期だったと云われています。乱世に生を受けながらも、自らの意思を通し、美しく才智に富んだ生涯を送りました。」    ※お江:浅井長政とお市の三女

※男山神社総代会 「播州 男山鎮座 三社詣略記 千姫天満宮 」パンフレット 要約  2024年入手

境内には牛の像が祀られており、撫でるとご利益があるとされています。この牛の像は「撫で牛」や「御神牛」と呼ばれ、菅原道真公との縁深い牛であるため、学問成就や健康祈願、安産祈願などに効果があると信じられています。  ※天満大自在天神:菅原道真を神格化した呼称

後の人生を箇条書きで記載します。

・長女・勝姫、長男・幸千代が生まれたが、幸千代が3歳の時に病気で没した。

・夫・忠刻(31歳)、姑・久仁姫、母・達子が次々に没し、本多家を出て出家して天樹院と名乗

った。

・出家後は竹橋御殿で暮らし、勝姫(当時11歳)を池田光政(鳥取藩主、後に備前岡山藩主)の元へ嫁がせた。

・鎌倉の東慶寺の伽藍(がらん)を再建。  ※伽藍:僧侶が修行する清浄な寺院

・江戸城から移った家光の側室・夏(順性院・じゅんしょういん)とその後生まれた綱重と暮らした。

・綱重を養子にし、大奥の最高顧問的な権威を持つようになった。

・幕府に対して介入を行った。

・明暦(めいれき)の大火で叔父・徳川頼宣(よりのぶ)の屋敷に寄留。

・寛文(かんぶん)6年(1666)に江戸で死去。享年70。

​千姫天満宮

※男山神社の石垣と千姫神社の石垣に其々、私の叔父と従兄が寄付をしたらしく石垣に名前を見つけました。

​千姫天満宮と左に「撫で牛」

​千姫に関するパンフレット

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姫路ゆかりの 千姫

姫路市観光コンベンション室 発行

​2024.5発行

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悠久の刻がよみがえる姫路城ゆかり

播州男山鎮座 三社詣略記

​水尾神社、千姫天満宮、男山八幡

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​姫路城西ノ丸にある千姫化粧櫓(国重要文化財)

​徳川家康の孫、千姫のかるたとりの人形

姫路ゆかりのお姫様・千姫
(姫路のひろば令和4年11月放送)YouTube映像

戦国美女 千姫の一生
(姫路のひろば平成30年7月放送分)

姫路ゆかりのお姫様・千姫
戦国美女 千姫の一生

天神さんと牛、その秘めたる力

数年前に大将軍八神社に参拝した後、北野天満宮に行きました。境内に撫で牛を見かけたのですが、菅原道真公と牛がどのような関係があるのか興味を持ちましたので纏めました。

①神の使いは狐、鳩、牛と崇められています。天神さんにとって牛は神の使いとなっています。菅原道真公は丑年生まれであったことが関係しています。承和12年(845年)は丑年になります。また、延喜3年(903年)2月25日の丑の日に薨去(こうきょ)されました。菅原公が大宰府で生涯を閉じられた際「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言を受け、御遺骸を轜車(牛車)で運びましたが、途中で座り込んで動かなくなりました。臥牛したところが今の大宰府天満宮になります。これらの由来から菅原道真公と臥牛となりました。

※薨去(こうきょ)というのは位階が三位(さんみ)以上の皇族が亡くなった時に使います。

②天満大自在天神という神号から由来する説。大自在天はバラモン教の大本尊で八本の腕と三つの眼を持つ八臂三眼(はっぴさんがん)で白い牛に跨(またが)るとされているところからの由来があります。

③菅原道真公は牛を大変愛出ておられ、牛もまた菅公に懐いていたという逸話からの説があります。

④十二支の丑は物の始まりと同時に以前の終わりを指します。つまり、一日、季節、一年の境を指します。お化けもあの世とこの世の境、つまり丑寅の刻に出現します。節分は虎のパンツを履いた鬼が出現します。これは丑寅(牛角と虎)からきています。境に求められるのはスムーズな転換にほかなりません。丑は「季節の転換呪力」と「陰陽の中和作用の力」十二支の丑はこの様な法則を負っています。古くから国家行事「土牛童子」と民間祭礼の京都の祇園祭と姫路の廣峯神社(祇園本社・八坂神社の元宮)の牛頭天王を祭祀しています。あまり知られていませんが姫路の廣峯神社は陰陽師の吉備真備の聖地であり、黒田官兵衛でも有名な神社です。

祇園天神は牛頭天王ともいい、インドの北方に顕現した神になります。牛頭天王は釈迦が建立した道場・祇園精舎の守護神になります。水気と土気の象徴になります。

祇園祭は、祭神は丑(冬季・水気の終わり・湿土)、祭事は未(夏季・火気の終わり・燥土)で中和を求めた祭りとなります。牛頭天王は暑熱時における悪疫防災の救世主とされたのです。

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​大宰府天満宮の御神牛

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​長岡天満宮の撫で牛

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​菅原道真公イメージ

​北野天満宮の撫で牛

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廣峯神社 牛頭天王総本山 五穀豊穣の神

黒田官兵衛ゆかりの神社

​初詣の廣峯神社ののぼり旗

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